目次
はじめに
1967年生まれの私にとって、幼少期のテレビといえば何と言っても「ロンパールーム」でした。特にうつみみどり先生(うつみ宮土理さん)の時代を覚えている世代として、この番組が持つ特別な魅力について振り返ってみたいと思います。
アメリカから始まったロンパールーム
ロンパールームの歴史は1953年、アメリカのバルチモアで始まりました。夫婦プロデューサーのBert ClasterとNancy Claster夫妻によって制作されたこの番組は、従来の「教育色」を強く打ち出していた子供番組とは異なり、子どもたちのありのままの姿を映し出す、楽しいエンターテインメント番組という革新的な発想でした。
5歳以下の幼児を対象とし、出演者は一般応募で募り、子どもたちのごく自然な姿を映し出すことで、お茶の間の子どもたちが「自分もテレビと一緒に遊ぶ」という親近感を抱かせる番組でした。
アメリカ版の特徴
- フランチャイズ方式:地方局が独自のバージョンを制作可能
- Mr. Do-Bee(ドゥ・ビー):大きなハチのマスコットキャラクター
- Magic Mirror(魔法の鏡):番組終了時に司会者が鏡を通して視聴者の子どもたちの名前を呼ぶ名物コーナー
- 礼儀作法の重視:司会者は常に「Miss(ミス)」で呼ばれる
番組は41年間という長期間放送され、2010年にセサミストリートに記録を更新されるまでアメリカで最も長く放送された児童番組でした。
日本版ロンパールームの誕生
制作の経緯
日本テレビは1960年代初頭、午前中の番組が伸び悩んでいました。局として画期的な子供番組を制作しようという命題があり、制作局長がアメリカに視察に出かけた際にロンパールームと出会い、「この番組を是非我が局で」と契約を結んできました。
重要なのは、「ロンパールーム」はあくまでアメリカのロンパールームプロダクションが著作権を持ち、各国のテレビ局が責任をもって「出演する子供たちを募集し、先生役を務める人物も適役を選び、教育する」という契約だったことです。
日本版の放送概要
- 放送期間:1963年(昭和38年)10月7日〜1979年(昭和54年)9月28日
- 放送局:日本テレビ系列
- 放送時間:当初は平日午前11:20〜11:50
- 番組構成:「教育 – 遊び – おやつ – 絵本」(アメリカ版と同じ流れ)
歴代の「みどり先生」
初代:並木翠(1963年10月〜1966年3月)
中国・天津生まれで、国際基督教大学卒業後、「英語が堪能な子供好きな人」という条件で500人もの応募者から選ばれました。世界各地のロンパールームの先生役とともに、アメリカ・ニューヨークで数週間の番組研修を受けた後、正式に司会者として活動を開始しました。
しかし、既婚者だった並木さんは夫の海外転勤を理由に1966年3月末で番組を降板することになります。
2代目:うつみみどり(1966年3月〜1969年)
私が覚えているのはこの時代!
初代の並木さんの後任として選ばれたのが、内海三重子さん(後のうつみ宮土理さん、出演時の芸名は「うつみみどり」)でした。実は書類選考で一度は落とされたものの、並木さんがスカウトしたとされています。
うつみみどり先生といえば、何と言っても番組最後の「魔法の鏡」のコーナーが印象的でした。
「鏡よ鏡よ鏡さん、みんなに会わせて下さいな。そ〜っと会わせて下さいな…」
この呪文を唱えながら、鏡(実際は穴の空いた枠)を通してテレビの向こうの子どもたちの名前を呼ぶシーンは、当時の子どもたちにとって魔法のような瞬間でした。1967年生まれの私も、「自分の名前が呼ばれるかも」とワクワクしながら見ていた記憶があります。
その後の「みどり先生」たち
2代目のうつみさん以降、「みどり先生」が定着し、3代目以降も「みどり」を名乗るようになりました:
- 3代目:よしだみどり(吉田悦子)
- 4代目:きしべみどり
- 5代目:いのうえみどり(井上郁子)
- 6代目:やまみどり(山縣優子)
歴代の「みどり先生」の中で、卒業後もタレント活動を続けたのは、うつみ宮土理さんだけでした。
番組の特徴と魅力
教育的配慮
NHKの「おかあさんといっしょ」やフジテレビの「ママとあそぼう!ピンポンパン」では番組進行者を「おねえさん」と呼んでいたのに対し、ロンパールームでは「先生」と呼び、より教育色が強い印象を与えていました。
人気の理由
番組は午前中の時間帯にも関わらず平均7.5%という高視聴率を記録し、日本テレビには毎週3,000〜4,000通もの出演希望の申し込みが殺到していました。1973年5月26日には放送3,000回を迎える記念番組も放送されるほどの人気ぶりでした。
放送形式の変化
- 生放送時代:放送開始から1年間は生放送
- 録画放送時代:以後は録画放送(2週間分まとめて収録)
- カラー化:1964年4月22日からカラー放送開始(子供向け番組としては初)
音楽と歌
番組では印象的な楽曲が多数使用されました:
- ロンパールーム・テーマ:原曲はイギリス曲「Pop Goes the Weasel」
- 「まげてのばして」:アメリカ版からの輸入楽曲(体操の歌)
- 「みどりせんせいのみ」:6代目やまみどり時代のオープニングテーマ
番組の終焉
「新・ロンパールーム」時代(1979年4月〜9月)
1979年4月から「新・ロンパールーム」として大幅リニューアルが図られました。セットの模様替え、出演幼児の増加、当時流行していたディスコダンスの取り入れなど、時代に合わせた変化を試みましたが、半年で終了となりました。
番組終了の理由
番組終了時の記事によると:
- 視聴率自体は良好だったが、局内でマンネリ化の意見が強かった
- 長期間の放送でスポンサーが付きにくくなった
- 著作権料として毎週1000ドル近くをフリーマントルへ支払う負担
こうして1979年9月28日、ロンパールームは16年間の歴史に幕を下ろしました。
私の記憶と混同していたこと
実は、私は長年「カータン」というキャラクターがロンパールームに出ていたと記憶していました。しかし調べてみると、カータンは「ママとあそぼう!ピンポンパン」(フジテレビ、1966年〜1982年)に登場するカッパのキャラクターだったのです。
どちらも昭和の代表的な子ども番組で、同じ時代に放送されていたため、幼少期の記憶が混同してしまったようです。カータンは声優の大竹宏さんが演じ、声だけでなく着ぐるみの中にも入って演技をしていた愛らしいキャラクターでした。
おわりに
ロンパールームは、アメリカ発の教育番組を日本の文化に合わせてローカライズした成功例であり、昭和の子ども番組の金字塔の一つでした。うつみみどり先生の温かい笑顔と「魔法の鏡」のコーナーは、1967年生まれの私をはじめ、多くの子どもたちの心に深く刻まれています。
現代の子どもたちには伝わりにくい「アナログな温かさ」がそこにはありました。テレビと視聴者の距離がもっと近く、番組を通じて本当に先生と触れ合っているような感覚を味わえた、貴重な時代の番組だったのではないでしょうか。
参考:番組の詳細な情報は、当時の新聞記事、Wikipedia、および関係者の証言などを基にまとめました。記憶違いや混同があった部分がまだあるかもしれないです。お気づきの方は、お知らせください。