目次
はじめに
前回のブログで「ロンパールーム」について書いた際、私は長年記憶違いをしていたことに気づきました。カッパのキャラクター「カータン」は、実は「ママとあそぼう!ピンポンパン」に登場していたのです。1967年生まれの私にとって、ピンポンパンもまた幼少期の大切な思い出の一つ。今回は、この愛すべき番組について詳しく振り返ってみたいと思います。
ピンポンパンの基本情報
ママとあそぼう!ピンポンパンは、1966年10月3日から1982年3月31日まで、なんと15年半もの間フジテレビで放送された子供向け番組でした。途中、1970年4月から1971年10月までは「みんなであそぼう!ピンポンパン」というタイトルで放送されていました。
当初はモノクロ放送でしたが、1971年4月1日からカラー放送となり、より鮮やかな番組として子どもたちの前に現れました。
女子アナブームの元祖
ピンポンパンの特筆すべき点の一つは、現在の女子アナブームの走りとなった番組だったことです。NHKの「おかあさんといっしょ」を意識し、番組の進行を「お姉さん」「お兄さん」などと呼んでいました。
歴代のお姉さんたち
- 初代:渡辺直子(1966〜1971年)
- 2代目:石毛恭子(1971〜1975年)
- 3代目:酒井ゆきえ(1975〜1979年)- 最も人気が高かった時代
- 4代目:大野かおり(1979〜1981年)
- 5代目:井上佳子(1981〜1982年)
これらのお姉さんたちは、同局の若手女子アナウンサーとしても活躍していました。特に3代目の酒井ゆきえさんは絶大な人気を誇り、当時のプロデューサー横澤彪さんによって抜擢されました。
愛すべきキャラクターたち
カータン(1968年〜1981年)
ピンポンパンといえば、何と言っても**河童のキャラクター「カータン」**が最も印象的でした。声を担当していたのは声優の大竹宏さんで、驚くべきことに声優だけでなく着ぐるみの中にも入って演技をしていました。
カータンは番組中のCMに入る前のアイキャッチを原則として担当しており、その愛らしい姿と独特の話し方で子どもたちのハートを鷲掴みにしていました。
私の記憶の中のカータン
1967年生まれの私がテレビを見始めた頃、カータンはすでに番組の顔として君臨していました。あの緑色の体に大きな目、そして何より愛嬌のある声が忘れられません。カータンが画面に現れると、それだけで心が躍ったものです。
その他の人気キャラクター
- しんぺいちゃん:まん丸お顔のキャラクター
- デベロン:巨大な唇がトレードマークの毛虫のキャラクター
- ガンちゃん
- ワンタン(声:冨田耕生)
- ブチャ(声:富山敬)
大ヒット楽曲「ピンポンパン体操」
ピンポンパンが生み出した最大のヒット作品といえば、1971年発売の**「ピンポンパン体操」**です。
楽曲の詳細
- 作詞:阿久悠
- 作曲:小林亜星
- 歌:杉並児童合唱団・お兄さん(金森勢)
驚異的な記録
- オリコンの童謡チャートで1位
- 売上260万枚の大ヒット
- 1972年 第14回日本レコード大賞童謡賞受賞
「ずんずん、ずんずん ずんずん、ずんずん ピンポンパンポーン♪」
この印象的な歌詞とメロディーは、当時の子どもたちなら誰もが口ずさんでいました。阿久悠さんと小林亜星さんという、1970年代〜80年代の日本歌謡界を支えた超一流の作家陣による楽曲だったからこそ、これほどまでの名曲が生まれたのでしょう。
パロディ作品への影響
この楽曲の人気は後年のバラエティ番組にも影響を与えました:
- 「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」:「暢子・四朗のピンピンピン」
- 「志村けんのだいじょうぶだぁ」:「パイのパイのパイ体操」
- 「とんねるずのみなさんのおかげです」:オープニングテーマ「フッフッフッってするんです」
憧れの「おもちゃの木」
番組のラストを飾る名物コーナーといえば、**「おもちゃの木」**でした。出演者の子どもたちがスタジオセットに用意された巨大な木の中からおもちゃを持ち帰るシーンは、全国のちびっこたちの垂涎の的でした。
1967年生まれの私も、「いつか自分もあの番組に出て、おもちゃの木からおもちゃをもらいたい」と夢見ていた一人です。きっと当時の多くの子どもたちが同じ気持ちだったのではないでしょうか。
番組制作の舞台裏
音楽面での充実
音楽を担当していたのは服部克久さんをはじめとする一流の作曲家陣でした。阿久悠さんなど1970年代〜80年代の日本歌謡界を支えた超一流の作家陣が参加していたからこそ、「ピンポンパン体操」のような名曲が数多く生まれたのです。
キャラクターの声優陣
- カータン:大竹宏
- デベロン、手羽チキン、ワンダー・ワンタン:富田耕生
- ドンピー、ラック、ブチャ:富山敬
一流の声優陣が参加していたことも、番組の質の高さを物語っています。
番組の転換期と終焉
低迷期の始まり
1980年頃から番組は低迷期に入りました。そして1981年12月31日、大晦日という象徴的な日に、番組の支え役だったカータンが卒業することになります。
カータンの卒業
カータンは「タカハタ山に帰る」という設定で番組を去りました。15年近く番組を支え続けたキャラクターの卒業は、当時の子どもたちにとって大きなショックだったことでしょう。
最後の試み
1982年1月4日からは新キャラクター「バビちゃん」を迎えて番組イメージの刷新を図りましたが、時すでに遅く、1982年3月31日に15年半の歴史に幕を閉じました。
感動的な最終回
最終回では歴代のお姉さん(初代の渡辺直子さんはVTR出演)やお兄さん、そしてカータンも3ヶ月ぶりに登場。全員で番組オリジナルソング「レッツゴーともだち」を歌い、
(井上)「さようなら〜!!」
(全員)「さようなら〜!!」
と叫ぶと、画面下部に**「『さようなら』のむこうは明日のとびら」**のテロップが表示されて大団円となりました。
私の思い出
1967年生まれの私にとって、ピンポンパンは幼稚園から小学校低学年にかけての大切な思い出です。特にカータンのキャラクターは強烈な印象を残しており、前回のロンパールームの記事でも触れたように、長年「ロンパールームにカータンが出ていた」と記憶違いをしていたほどでした。
それほどまでにカータンは私の中で印象的なキャラクターだったのです。あの愛嬌のある声と仕草、そして何より子どもたちを楽しませようとする姿勢が、幼い心に深く刻まれていたのでしょう。
今、見ると、河童のお化けみたいで・・・ちょっと怖いですね!
後年の評価と復活
DVD化による復活
2013年5月5日、番組初のDVD化となる「ママとあそぼう!ピンポンパン DVD-BOX」が発売されました。31年ぶりの復活に、当時の視聴者たちは大いに沸きました。
現存する同番組のアーカイブ映像を当時の番組制作ディレクターが監修し、歴代のお姉さんをはじめ、しんぺいちゃん、カータン、お兄さん、ガンちゃんら懐かしのキャラクターたち、憧れの「おもちゃの木」、大ヒットした「ピンポンパン体操」などがDVDでよみがえりました。
BSフジでのリメイク版
2000年12月4日から2002年4月5日まで、BSフジで「うたであそぼうピンポンパン」としてリメイク番組も放送されました。
昭和の子ども番組としての意義
ピンポンパンは、ロンパールームと並んで昭和の子ども番組の双璧をなす存在でした。教育的な要素を持ちながらも、エンターテインメント性を重視し、子どもたちが純粋に楽しめる番組作りを心がけていました。
特に音楽面での充実ぶりは特筆すべきもので、「ピンポンパン体操」をはじめとする楽曲の数々は、現在でも多くの人の記憶に残る名曲となっています。
おわりに
「ママとあそぼう!ピンポンパン」は、1967年生まれの私をはじめ、昭和の子どもたちの心に深く刻まれた特別な番組でした。カータンをはじめとする愛らしいキャラクターたち、心に残る楽曲の数々、そして子どもたちの夢だった「おもちゃの木」。
これらすべてが組み合わさって、単なる子ども番組を超えた「文化現象」とも呼べる存在になったのです。現代の子ども番組とは異なる、アナログ時代ならではの温かさと手作り感が、今思い返しても懐かしく、愛おしく感じられます。
前回のロンパールームと合わせて、昭和の子ども番組の魅力を改めて実感できました。これからも機会があれば、当時の他の番組についても振り返ってみたいと思います。
最後に、、、なんですが、「カータン」という言葉、50年ぶりくらいに発話しました!
参考:番組の詳細な情報は、当時の資料、DVD-BOX、関係者の証言、およびオリコン記録などを基にまとめました。記憶違いがあるかもしれません。間違いにお気づきの方は、お知らせください。