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都営新宿線の話

時々昔のことを思い出す年齢になりました。
今日は、都営新宿線ができた前後のお話を書きます。

都営新宿線がなかった頃

暑かった日、当時の国鉄新宿駅西口のロータリから、都営バスに乗ったんですよね。みんな暑い中並んでいて、赤ちゃんをおんぶしたお母さんが、今よりもたくさんいたような印象が残っています。
その頃の都バスは、今のように緑ではなかったような記憶があって、青っぽい、昭和っぽいデザインで、丸目なライトがありました。
エアコンは、ついていなかったと思います。暑くて暑くて、蒸し風呂状態でしたが、これはバスに限ったことではなくて、乗用車もそうだったと思います。渋滞にはまると、暑さと排ガスで、ひどい状況になっていました。
この頃は、ぜんそくも問題になっていて、幹線道路沿線に住んでいる子供たちは、結構な確率でぜんそくを発症していました。
まぁ、とにかくひどい状況でした。

都営新宿線になる前に

都営新宿線という印象がついたのは、新宿まで延伸されてからですね。それまでは、篠崎あたりを走る、あんまり乗らない電車という印象がありました。同じような印象を持つのが東西線で、今でこそ、浦安、葛西あたりは、すごく開けていますけれども、当時はそんなにビジネスでいくような場所ではなかったと思います。
ここも記憶があいまいなのですが、浦安あたりは埋め立てが終わったか終わらないかくらいで、びっくりするような荒野が海に向かって広がっていて、カラスやら海鳥がとびかっていて、怖かった印象があります。
東西線も、都営新宿線になる電車も、そこらへんを走る電車くらいにしか思っていませんでした。

新宿まで延伸される

そんな都営新宿線が延伸されると、バスに乗らなくて良いと言うことで、わくわくしていたことを覚えています。実際に延伸されると、結構モダンな印象で、すごくかっこよかったですね。ヤングな感じでした。
私はこどもだったので、篠崎のほうから少しずつ延伸されたのか、それともそれぞれ作られてつなげたのは記憶はありません。ただある時期を境に、山手線の内側から、一気に新宿経由で初台方向まで抜けて行ったという印象で、バスがいらなくなる!という印象だけが残っています。
ところで、当時新宿駅の京王帝都電鉄、いまの京王線ですが、都営新宿線の改札や切符売場が一緒になっていた記憶があります。今も、その場所を覚えているのですが、乗り入れを一部していたりして、とにかくぐちゃぐちゃで、高校生くらいでも理解するのが難しかったようです。
なぜ、そんなことを覚えているかというと、小学生だった私を高校生のいとこが連れて新宿から明大前あたりまで行ったときに、切符の買い方を間違えて、改札で、小一時間、説教をされたんです。
キセルだと思われたと思うのですが、当日は、「切符を切る」というはさみのようなもので、切れ込みを入れるのが一般的で、その駅員さんが、まぁ、だらだらと私たち二人を説教しましたね。
もっとも、間違えて買っているだけなんで、金額は正しいかったんですね。最終的には、キセルじゃないから、見逃すけど、、、といって見逃してくれました。
当時は、駅員さんが見逃しちゃえば電車、のれちゃった、、、そんな時代でした。

都営新宿線沿線の町

そんな時代ですから、新宿から山手線の外側方向の町は、まだまだ未開拓な印象がありました。空き地も多くて、ドラえもんによく出てくる空き地に土管があるような光景は、当時のものだと思います。(今はあんな土管、みないでしょ?)
都営新宿線界隈も、なんだか怪しいというか変なお店がたくさんありまして、特に初台駅を降りたところにあった、雑居ビルのようなところにあった、変な個人商店群は、怪しさ満点で、ちょうど中野ブロードウェイを古く、怪しくした感じの、面白い場所でした。今は、もう壊されて、素晴らしいビルが建っちゃっていますけれどもね。
初台駅も昔の印象と今は違っていて、今の初台駅は、上り、下りが階層構造になっていると思うのですが、昔は違っていったような記憶があって、大幅な工事がされていたように覚えています。 今も少し残っていますが、初台駅は特に暗い印象がありました。
 
上記は、私の小さな頃の記憶です。たぶん、間違えているところもあると思いますが、私の記憶にある、世界です。懐かしいです。
古き良き時代、東京も十分未開拓の一地方だったなと思います。
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