「営み」「幸せ」「大変さ」、比較できないもの

新型コロナウイルスの影響は、社会や、生活そのものを破壊し、変えてしまいました。自宅に籠もることが多くなり、その結果、お金の使い方や、消費するものまで変わっていきました。

朝起きて、ご飯を作って、食べて、今日やることを確認して、お昼ご飯を作って、食べて、なにがしかの活動をつつましやかにやって、夕飯を作って、食べて、そして、寝る。

ただただ、それの繰り返し。

それの繰り返しなんですが、いままでの生活とは異なるけれども、なんだかこれが昔の普通だったんじゃないかとも思える、なんとも不思議な感じがあります。

東日本大震災の時にも、そして今も。とんでもないことが起きているようにも思いますが、これが普通のようにも思えてきています。

こう考えてみると、農業や林業のような一次産業の重要性が再認識されたり、食べ物を作ることがもっとも大切なんだと思えてきたり、質実剛健が正しそうな感すらしてきています。

そんな営みの前では、他人との比較はあまり大切ではなく、自分の家族や、仲間と、日々を楽しく過ごすことをいかにして続けられるかだけが、唯一、幸せの評価軸のような気がしています。

幸せが比較的出来ないのと同じように、その営みの中での苦労、大変さも、比較できないものだと感じており、そもそもその玄人か、大変さも、幸せの一部であり、営みそのもののような気がしています。

営み、幸せ、大変さ、、、そんな生物としての人間そのものの、生き方、、、

比較することなく、ただただ普通に営みを重ねて生きたい、そう思います。