真実はひとつ、そんな決め台詞のドラマがあったような気がします。私もずっとそう思ってきたのですが、ずいぶんと前に、真実は複数かもしれない、と思うようになったお話を書きます。
例えば、富士山を見たとして、大きな山ですから、近くや遠く、県をまたいだりすると見え方が大きく変わります。もちろん富士山は富士山なので、大きくは変わらないでしょうが、微妙に見えている物がちがうと思うんです。
そんなとき、異なる場所にいることに気づかず、富士山の姿について、やみくもに言い合ったらどうなるでしょう。見えている物が異なるので、もめるかもしれないですよね。
真実って、そういうものだとおもうのです。
大きければ大きいほど、真実は複数あるのかもしれない、見え方が複数あるのかもしれない、そんな風に考えています。
富士山は一つじゃん!と思われる方もいらっしゃるでしょう。そうなんです、富士山は一つなのですが、結局の所富士山とは、それを見た人の姿であって、その実態を表現することはできないのです。
なので、結局は真実は複数あるのと同義と思っています。
これを乗り越えるためには、異なる見え方をしている人を尊重すること、それしかないと思っています。