先日Facebookで以下のような投稿をしました。
その中で、
「育英会には、学生時代電話をしたこともあるのですが、すごく暖かく、本当に育英の名前通りの印象をうけたことを覚えています。」
と書かせていただいています。本当に心から感謝しているので、育英会のことについて、少し書きたいと思います。少し長くなりますが、お付き合いください。
目次
貧乏を絵に描いたような大学時代
自慢できるようなことではありませんが、すごくお金がありませんでした。事情はどうでもいいとして、とにかくお金がなかったのですね。当時は、そんなに深刻に考えていませんでしたが、今から考えると、綱渡りだったようにも思います。バイトは、時間給の高い家庭教師が中心。葬儀屋さんのバイトとかもしていましたが、夜泊まるだけでお金がもらえるようなバイトで、そんなに稼げませんでした。
昔ながらの言い方で言えば、苦学生。お金がもらえない、研究室の仕事は、自分でもちょっとがんばっていたかなと思っています。毎日朝研究室に出て、夕方までしっかりと仕事をさせてもらっていました。
でも、あいかわらずのお金なし。そんな生活もそれなりに楽しかったのですが、一度だけ、やばい!と思ったときがあったのでした。
申込用紙をゲットするのが最初のハードル
大学生活4年目くらいになると生活にも慣れて、研究室に配属もされて、少し落ち着くと思うのですが、こういうときに悪いことは起こるものです。比較的早いタイミングで、大学院進学が確定となり、卒業研究と研究室の仕事と後輩の指導と、生活のためのアルバイトと、プライベートと、と頑張ってました。そのときに、つい、大事な掲示を見逃してしまうのでした。それが、
育英会の奨学金申込用紙配布のお知らせ
でした。私の大学は、以下のようなフローで育英会奨学金の手続きをしていました。
- 大学事務が育英会の奨学金申込用紙配布を掲示
- 奨学金申込用紙は限りがあり「用意した分がなくなったら、申し込めない」旨掲示には書いてあり、それもあって、奨学金を欲しい人は、我先にとその申込用紙をもらう努力が必要
- 奨学金申込用紙配布には、期限もあったような気がしますが、通常はすぐに申し込み用紙がなくなる
というものでした。少々研究室の仕事に追われていた私は、掲示を見落とし、出遅れてしまうことになります。
事務のおばちゃんとのやりとり
出遅れてしまった私は、急いで事務室に向かいます。事務室には、数名事務の方がいましたが、一番手前にいたおばちゃん(今から考えたらお若い方なんでしょうが、当時の私から見たらの印象です)と会話をすることになります。
私「すいません。育英会の奨学金申込用紙配布が行われているとみたのですが」
おばちゃん「もうないわよ。毎年なくなるから、早いもの順って決まってるのよ。」
私「遊んでいたんじゃいんです。本当に仕事に追われていてこれなかったんです。」
おばちゃん「みんなそうよ。みんな仕事よ。」
私「生活できなくなってしまいます。本当に困っているんです。」
おばちゃん「そんなこと言われても、ルールはルールだから。」
私「学費も払えなくなってしまいます。」
おばちゃん「そう言われても困るわ。」
私「育英会の方に連絡してもらうことはできませんか?申込用紙だけなら、育英会から送ってもらえませんか?」
おばちゃん「そういうの無いから。」
完全に敗北し、打ちひしがれて、研究室に戻りました。
納得がいかない、アクション起こそう
おばちゃんは、がんとして動いてくれませんが、私としてはどうにも納得がいきません。育英会・奨学金という趣旨を考えても、また大学という組織のあり方を考えても、納得がいかないのです。また私の行動についても、申込用紙配布に間に合わなかったのが、遊んでいたならまだしも、大学内にいて、学費を払っている身でかつ仕事をしていて(お金はもらっていないですよ)、どうしても申込用紙配布開始直後に行かないからと言って、生活の危機にさらされないといけないのか、どうしても納得がいきませんでした。
そもそも
奨学金申込用紙が先着順で、無くなったら申込資格がないというルールがおかしい
と強く考えるようになりました。ついでにいえば、高校の時に受けた育英会の奨学金申込で、申込書が争奪戦になるルールなんてありませんでした。
「で、あれば、アクションを起こそう、だめならばそのとき考えよう。」
と思い立ちました。
育英会に電話をかける、おじちゃんとのやりとり
育英会のことを調べ直し、電話番号案内で電話番号を調べました。東京03の市外局番で、だいたいの場所はわかりましたが、行くようなお金もなく、電話をかけることにしました。ドキドキしながら、育英会の代表番号にかけました。その時のおじちゃん(これまた、今から考えると、お若い方と思いますが、当時の私からはおじちゃんでした)とのやりとりが以下のようなものでした。
私「(斯く斯く云々)といわれたんです。ルールということで、私が悪いです。悪いのですが、これでは、本当に生活ができません。大学院にも受かっているんです。奨学金というのは、こういう学生のためにあるんじゃないでしょうか。」
おじちゃん「はいはい」
私「生活できなくなってしまいます。本当に困っているんです。」
おじちゃん「ルールって言われたんだね。」
私「はい。毎年そうだと言っていました。毎年もらえない学生がいるそうなんです。」
おじちゃん「これからこの電話を切ったら、すぐに大学の事務に向かいなさい。私から一本電話を入れておくから。」
私「え!本当ですか!もらえるのですか?」
おじちゃん「さっき聞いたルールとか無いから。申込用紙は追加で郵送するから安心して行きなさい。」
私「はい!ありがとうございます!」
最後のやりとりは今でも耳に残っています。うれしくて涙が出そうになりました。が、まだ信じられませんでした。おばちゃんからまた怒られるんじゃないかと、ドキドキしていました。
怒りのおばちゃん
電話を切り、急いで身支度をし、大学に向かいました。事務室に入ると、ものすごく、ものすごく
いやあーーーーーな雰囲気が・・・・
奥の方にいる男性の偉い人っぽい方が、まぁ、怒り心頭のような雰囲気。その偉い人の周りに数名の事務方がいるのですが、その一番外側に、あのときのおばちゃんがいました。
私「あのすいません。」
おばちゃん「あ!あんたね!育英会に電話したのは!」
私「え、あ、はい、すいません。」
おばちゃん「申込用紙くらいあげるわよ。電話なんかかけちゃだめよ。」
私「あ、はい。。。」
おばちゃん「明後日くらいには届くみたいだから、取りに来なさい。電話なんかかけちゃだめよ!」
私「え、あ、はい。。。すいません。」
結局、ルールってなんだったのだろう・・・・とか思いながら、納得がいかない自分を抑えつつ、明後日を待つことにしました。
ふつーにもらえた申込用紙、ふつーに進んだ事務処理
生きた心地がしない2日を過ごし、大学の事務に行きました。先日怒り心頭だったおばちゃんが、あいかわらずの鬼の形相で、ふつーに申込用紙をくれました。
その後、どのように事務処理をしたのか、もう記憶がないのですが、淡々と事務処理が進み、無事大学院からも奨学金をお借りすることができました。
あのときの育英会の方、おじちゃんがいなかったら、今の私は無いかもしれません。
次の年度、あることが変わった!
話はこれで終わりません。大学院の一年生になった私は、後輩の奨学金などについても、先輩として経験を話していました。とにかく早く申込用紙を受け取りに行けよ、と言っていました。育英会の奨学金申込用紙配布の掲示が張り出されたとき、驚きました。
奨学金申込用紙配布の早いもの順がなっくなっていたのです!
私の時にあった「申込用紙がなくなった時点で終わり」のような記述がなくなり、期日内であれば希望者分だけ、配布することになっていました。後輩のためにもなったかもしれないと思うと同時に、育英会の方、おじちゃんに感謝をしていました。
育英会のおじちゃんに伝えたい
そのおじちゃんのお名前をお聞きした気もするのですが、今となっては記憶の彼方です。お名前もわかりませんが、私の人生の恩人に違いはありません。育英会のおじちゃんにありがとうございます、とあらためて伝えたいです。
おかげさまで、大学院修了することができました。就職もできました。博士も取得することができました。なんとか50歳まで生き抜くことができました。これからも感謝を忘れないようにがんばります。
いろいろなご意見もある育英会の奨学金、それでも、その奨学金があって、育英会の方がいて、救われた学生がいることを、きちんと書いて記録に残したいです。
もうそのおじちゃんにお会いすることはできないと思いますが、そのご恩を少しでも社会に返したいなと思うところです。
最後に書きますが、おばちゃんの話していた「ルール」なるものが、なんのルールだったかは、今もわかりません。