おばあちゃんの記憶

夏になると、ずいぶん前に亡くなったおばあちゃんの記憶が蘇ります。小学生だった一時期、両親に連れられて、おそらくはお盆時期だったと思うのですけれども、母がたの田舎に遊びに行っておりました。田舎は、その地方の議員さんの力だと言われている新幹線と高速道路で商工が発達し始めていたものの、まだのどかな風景が果てしなく続く、素敵な農村でした。
田舎にいくと、よく来たね、といういつものセリフから、お互いの近況報告が、昼に夜に続きます。1年ぶりに合う子供達も、最初はギクシャク、1時間も経つと慣れて仲良しに、2時間も経つとケンカをするほど仲良しに、3時間も経てば仲直りと、いつもの光景が展開されていました。
おばあちゃんは、大人の輪の中でも、子供の輪の中でも、いつも中心にいて、にこにこと色々な遊びを教えてくれました。
そんなおばあちゃんの忘れられないエピソードがあります。
 
ある日、おばあちゃんが家で留守番をしていると、玄関の呼び鈴がなります。玄関に出て行くと、見知らぬ男が一人ぽつりと立っていました。
「こんにちは」
男の身なりは、みすぼらしく、薄汚れていて、なんとも言えない、汗のような、生ゴミのような、ツンと鼻をつく匂いが漂っていました。
はい、と応えたおばあちゃんに、男は懇願するように言います。
「お腹が空いて、倒れそうなんです。食べ物をくれませんか。」
少し驚いたおばあちゃんは、お茶を入れ、食べ物を差し出しました。男は、立ったまま玄関で、お茶と食べ物を平らげました。その様子を見ていたおばあちゃんは、お腹いっぱい食べたほうが良いと、台所と玄関を往復し、お茶と食べ物を手渡しました。
すっかり食べきった男の顔には、生気が戻り、少し元気になったように見えました。
「ありがとうございます。おいしかったです。」
立ち去ろうとした男におばあちゃんが声をかけます。
「ちょっと待ちな」
おばあちゃんは、そそくさと台所に戻ると、手慣れた手つきで、炊いてあったご飯でおにぎりをたくさん作りました。
「ほれ、これ。あとで食べな」
男は驚いた表情で、おにぎりを両手に抱え、呆然となりました。一瞬の時間のあと、男は笑顔になり、そして、少し申し訳なさそうな、少し泣き出しそうな、複雑な表情で、何回もお礼を言いながら、頭を下げながら、どこかに帰って行きました。
その日の夜、自宅に帰ってきた家族からおばあちゃんは、注意をされます。
「危ないよ、誰かもわからないのだから」
「ご飯、あげちゃったの?」
おばあちゃんを心配するがために、家族はおばあちゃんに強く注意をしました。
「もうやめてね。危ないから。」
おばあちゃんも、納得したようで、今度はしないと約束したそうです。
それから数年たったある日、玄関の呼び鈴がなります。
「ごめんください。どなたかいらっしゃいますか?」
スーツを来た、几帳面そうな会社員が玄関に立っています。数人いた家族が出迎えます。車の営業さんかな、といういでたちの男は、深々と頭を下げます。手には、大きな菓子折りを持って、それを頭の高さにずいと差し出しながら、続けます。
「数年前に、こちらのおばあちゃんに、ご飯を恵んでいただきました。人生に失敗し、お金を失い、全てを失い、何も食べていなくて、倒れそうになっていました。こちらの玄関が目に入り、助けてくださいと懇願したところ、お腹いっぱい食べ物を食べさせていただきました。たくさんのおにぎりまでもらいました。そのおにぎりを食べながら、もう一度がんばって、お礼を申し上げに来ようと思っていました。
ようやく、生活ができるくらいになりました。本当にありがとうございました。」
家族は、とても驚き、おばあちゃんは、嬉しそうに男と話していました。
 
おばあちゃんは、もうこの世にはいません。仏様のようなおばあちゃんと言われていました。いつもにこにこしていた記憶しかありません。
お盆の今の時期、きっとおばあちゃんは、天国から私のことも見ているのだろうと思っています。